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小林麻央さんの死去で思い出すガン闘病で力尽きた叔母のこと

小林麻央さんの闘病姿に叔母の姿を重ねた一年

こんにちは、てんです。

昼前のニュースが始まると同時に映し出された小林麻央さんの元気な笑顔の写真。あぁ、亡くなったんだな…と思いました。ここ一年、すごく応援していたのでショックです。小林麻央さん自体、もともと品のある可愛さや他のアイドルアナウンサーにはない雰囲気とかが好きで、本当に元気になって欲しかった。そして同時に思い出した、3年前に亡くなった叔母のこと。

 

同じガン闘病を2年以上続け、わたしの叔母は54歳で亡くなりました。生涯独身で子供もいなかったので、もともとは見た目も若くバリバリ仕事をしている女性でした。昔から仲が良く、食事やドライブに行ったり長電話していた日が懐かしい。

 

ガン末期の闘病は見ているのも辛いほど進行がカラダに出る

特に若い場合のガンは進行しやすく、そして見る見るうちに姿が変化していきます。小林麻央さんのブログを拝見していたときも感じていた、どうすることも出来ない変化。言葉にしたら、終わってしまいそうだから、誰も言わない変化。

叔母ももともとは少しふっくらしているタイプで髪は真っ黒だったのに、最初は治療の副作用で太ってしまい、末期に近づいて終末医療に切り替わると、今度はどんどん痩せこけていきました。真っ黒だった髪も一度抜け落ち、さらに亡くなる前は真っ白、その姿は50代にはとても見えず、おばあさんのようになっていて、会いに行くのも辛かった。

 

末期ガンで亡くなるとき、それは「力尽きる」という感じ

そして末期ガン、闘病を続けて亡くなるときには「力尽きる」、本当にこの言葉しか思い浮かびません。それだけガン闘病はつらく、長いものなのでしょう。これは本人にしか分かりませんが、見ている家族としては、ああ、頑張ったな、力尽きたんだな・・・と感じます。叔母の最期は小林麻央さんとは違い、病院でした。しかし特別な治療はせずに痛みをおさえながら、静かに死を待つ病棟です。その病棟に移ったことを、良くして頂いた他の病棟の先生に伝えると「そっか~、あっちに行っちゃったか!」と、良い意味での諦めたような空気で言われました。命を扱う現場にいるからこそ、生も死もどちらも同じくらい重要視しているんでしょうね。

 

亡くなる直前に母が見舞いに行くと、「あれ、○○(私)は?さっき来てたでしょ」と言われたらしく、わたしはその日行っていない。さらに飼っている犬を「ほら、こないだ死んだでしょ、お葬式してあげなきゃね」と。母は話を合わせたらしいですが、わたしはその話を電話で聞いて、涙が止まりませんでした。

 

進行するガン、近づく死。それが見える家族は、どう準備したらいいんだろう。

 

誰かが亡くなったときの静けさと・・・

叔母が亡くなったときも、今日の昼間に小林麻央さんの訃報を聞いたときも、どうして人が亡くなった日というのは妙な静けさがあるのでしょうか。しかし芸能人の方でこの静けさを感じたのは小林麻央さんが初めてです。闘病にがんばっている小林麻央さんの姿に、叔母の姿を重ねていたからかもしれません。

 

生と死、これは必ず、誰にでも訪れることです。

友人と、家族と、恋人と過ごしているこの日々は絶対にいつか終わります。いつ死ぬかよりも、どう生きたかが大事なのは、残った家族に残されるのは「生きていた日々」だけだからです。30代で亡くなれば、残された人たちはこの先の人生の方が長いこともあるでしょう。

叔母との日々も年々遠くなっていきますが、それでも一緒に生きた日々の濃さがあるからいつも思い出すと、寂しい気持ちと温かい気持ちが混在しています。

 

しかし若ければ若いほど、そのお通夜やお葬式はなんだか寂しくなる。施されるお化粧もすごく映えて、きれいに見えるんですよね。チークで血色も良く見えるから、まるでただ寝ているかのように。